美人への道

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〜ニッポンの美しい女神たちへ〜Vol. 52

 自然が教えてくれる・癒してくれる・・☆

 

 私たちが住んでいる『日本』は国土が小さい島国でも世界的に驚く程、様々な自然に囲まれた『自然の宝庫』です。

 それは専門的な分野からの説明は出来ませんが、『日本』は四方を様々な海流が流れる海に面していて多種多様な『種』を運んで来てくれるベストな位置に存在していたり、小さい国土の中の複雑な地形があらゆる自然の奇跡を生んでいるのではないかと思っています。

 ただそんな素晴らしい『自然』に恵まれていながらも、私たちはその状態を当たり前のように感じているので、なかなかその恩恵に感謝する事を忘れてしまいがちです。

 古代『アニミズム(自然崇拝)』の思想から独自の信仰が生まれ、それは段々と形式が確立されて行き、今では『神社』と言う型になりました。

 ほとんどの『神社』は参道と鳥居、そして本殿が配置され、誰でも自由に参拝へ訪れる事が出来ます。そんな1つの事に拘らず全てを受け入れる自由な思想は日本らしいですよね。

 元々、農耕民族の日本人が作り出す作物を貯蔵する『高床式倉庫』が『神社』の原型であり、その中に神に使える者や収穫された作物と共同生活をして『神』は身近で常に側に居てくれる存在となっていました。

 そう・・昔から私たちは何時も神様と共に生きている感覚を持っているのです。

 それも豊かな自然環境の影響でしょうね。

 複雑な人間関係や倫理、規則に縛られている現代、私たちは目には見えないありとあらゆる『ストレス』を抱えて生きて行かなければなりません。

 仏教的な考えで『生きている事が修行そのもの』の言葉通り、この世の中は自分の思い通りに進まない事が多くなっています。

 そして自然界においても世界レベルで『異常気象』と呼ばれていますけれど、私たちの生活の中で目にする『自然』はそれほどまで激変しているものではありません。

 春になれば桜が咲き、花びらが落ちた後は瑞々しい新緑が芽吹き、秋になれば目にも鮮やかな紅葉が広がり、そして冬になれば落ち葉となりまた来年に向けての準備を始める・・。

 私たちと違って長い年月のありとあらゆる気候・風土を乗り越えて来ている自然の木々たちの生命力はそんなやわな物ではありません。

 私自身、京都に住んで古いけれど自然素材に囲まれた町家の中で生活をし『華道』では花器に花を生けながらその指の先から『花の命』を頂いています。

 そんな感じで家の中でも常に『自然』を取入れて一緒に生活をして行く事が習慣となっています。

 家の中の観葉植物たちに水をあげる時は必ず葉を撫でながら声をかけています。すると植物たちは元気に育ち続け癒しの存在でいてくれます。

 気がつけば20年以上も共にしている観葉植物もあり、その生命力に驚くばかりです・笑。

 そしてそんな観葉植物たちは家の状態を知るバロメーターにもなります。

 『気』の流れが悪い場所や湿気が溜りやすい場所に置いていると観葉植物たちは元気が無かったりすぐに枯れてしまいます。

 そして同居している私たちのコンディションもあまり良くなければ観葉植物たちはそれを受け取るかのように元気が無くなります。

 不思議と植物と人間も『目には見えない絆』で繋がっているんですよね。

 一方、太陽の光があたり過ぎる場所に置いていると過剰な光の栄養も逆に元気が無くなる元となってしまいます。

 外の厳しい条件の中で生息する木々や花たちと違い家の中で育成する観葉植物は適度な光の栄養と水分で十分に育ちます。

 そして声をかけてあげたり愛情を注ぐ事も大事です。

 『温室育ち』と言う言葉があるように観葉植物に関しては、愛情を向ける事の訓練にもなるんですよね。

 例えば、人とのコミュニケーションを取る事が苦手だったり友達や恋人が欲しいと願っている時、観葉植物を通して色々とコミュニケーションを取ってみてください。

 彼らは何も語りかけて来ません。しかし、その状態は生き生きとした葉などから感じる事が出来ますし、それらに触れる事によって愛情のエネルギーを頂く事が出来ます。

 そしてそんな観葉植物だけでなく、ストレスで元気が無くなったりマインドが重たくなっている時は、公園や山、森、川、湖、神社などの自然に触れて下さい。

 自然は無条件に私たちに『心の栄養』を与えてくれます。

 其処に自然がある限り、生命エネルギーは溢れているのです。

 何も考えずただ、自然の中に身をゆだねているだけで身体の中の浄化が始ります。

 それは神社参拝へ行って心や身体がスッキリとする事にも通じています。

 基本、神社は鳥居で結界をはられ、邪気が入らないように区切られ、境内の中には神聖な空気が流れています。

 そして神社の中に生息する杉の木などは『御神木』と呼ばれるように大きく、高くそびえたっていますよね。

 それは其の場所は素晴らしいエネルギーに満ち溢れている証拠でもあるのです。

 そんな素晴らしいエネルギーに身体が反応して心の中がスッキリするのも当然です。

 理屈とか理論ではなく、それこそ『自然の叡智と繋がる事』だと思います。

 今、良い意味でも悪い意味でもありとあらゆる『情報』が飛び交う現代、私たちは時にその情報に翻弄され、真実を見失う事があります。

 でもそんな時、窓から見える風景、通勤途中に歩いている時など日常の中で目に触れる自然たちは何も変わる事無く、美しい緑の葉を蓄えて生き続けています。

 車が多く行き交う街路樹の木々も全くひるむ事なく存在している・・。

 そんなまばゆいばかりの生命力が存在している限り、過剰に心配する必要はありません。

 自然の摂理は良く出来ていて地球が存在する限り、全ての生命はその『種』を継続して行くために様々な進化を遂げて行きます。

 それは元々、自然から生まれた人間や動物たちに関しても決して例外ではありません。

 特に人間は喜怒哀楽の『感情』にコントロールされやすいので、衣食住に関して色々と神経を使ったり余計な心配する事が多々あります。

 時に目に見えない空気や大気に対して怯えてしまう事もあります。

 そんなぶれてしまった自分を受け止めてくれるのも自然です。見えないものに怯えている時も、青々しい木々の葉を見てください。

 その深い緑は心の中に『安心』を与えてくれる事でしょう。

 自然はただ『癒し』となるだけでなく、時に『天災』と言う型で人間では計り知れない破壊力や威力を発揮する時があります。

 しかし、それは今に始った事ではなく古代からずっと繰り返されて来ている事なのです。

 日本は『自然の宝庫』の数だけ天災の数もどうしても多くなってしまいます。

 自然は『天災』と言う型で痛い勉強を私たちに与えて来る事もありますが、古代からそれを乗り越える勇気と希望の強い精神も与えられて来ました。

 日本人がどんな困難にぶつかっても手を取り合って進んで来られた背景には

やはり同じように『豊な自然の恵み』に助けられて来た事も多く影響していると思います。

 近年『自然』に関する様々な出来事を目の当たりに見ていて、今一度、私たちが自然とともにどう共存して行くのか意識を高めて行かなければならない現状になって来ていると感じずにはいられません。

 今一度、私たちの身近にある自然に対して感謝と崇敬の気持ちを持って見る事がご自身を救う事にも繋がっていると思いますよ。

 

この幸福の木は20年経った今でもすくすくと育ち続けています・笑

縁側に置いてある観葉植物たち・・。
みんな元気!笑

華道『美生流』は京都の皇族たちの間で生まれた流派です。
早いもので習い始めて5年が経ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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