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〜ニッポンの美しい女神たちへ〜
Vol.23 太陽と月が昼と夜に分かれた訳・・☆
あの311から2年と言う月日が過ぎました。
しかし、現実ではまだまだ問題は山積みで『復興』に至までは沢山の時間を必要としています。
先日、出雲bijin企画で有志をつのり、福島県へ行きました。
参加させて頂いたバスツアーでは、実際に現地へ行く事によってメディアでは伝わりきれない現地の実情と体験された方々のお話は本当に勉強になりましたし、色々と考えさえられる事もありました。
東北新幹線の改札を出た所から『がんばろう!福島』の文字が目に飛び込んで来ます。
福島駅は問題となっている『福島第一原発』の警戒区域からかなり離れた位置にありますけれど、駅の側にある公園から既に放射能測定器が置かれ、その横には公園を利用するにあたっての注意書きがありました。
『公園利用は1日1時間程度にしてください』
そんな信じられない言葉が綴られています。
しかし、その横に置かれている測定器を見ると危険数字に達しているものではありません。
でも、風向きに寄っては数値が変わる危険性があります。
駅を降りてから外の風景を見ると、私たちが住んでいる街の風景と何も変わりがないと錯覚してしまいますが、公園の横に置かれている放射能測定器は普通の生活を送る事が困難になっている福島県の現状が解ります。
私たちは大型バスに乗り込み、他府県から参加されている方々と一緒に出雲bijinも関わっている『ひまわり里親プロジェクト』の施設へ向かいました。
ひまわりの種が集まる『和(なごみ)』施設は就労支援も関わっています。
現地ではひまわりの種を袋詰めする作業の行程や全国から集まったひまわりの種を見せて頂きました。
そしてその種をまた袋に詰めて新たな里親さんに配布する行程を説明して頂きました。
移動中のバスの中では、プロジェクトが出来たエピソードを代表者の方が面白おかしく説明してくれるのでバスの中は終始、笑顔がこぼれ和やかなムードに包まれます。
大変な経験をされているにも関わらず、表情は決して後向きではありません。
こんな時『ユーモア』と言うものがどれだけ人間の活力に変わるのかと言う事が痛い程解りました。
その後に向かった双葉町の方々が非難している仮設住宅の見学では、いわき市からフラガールの応援や、広島県からやって来た学生さんたちがお好み焼きの屋台を出して、住民の方々にお好み焼きをふるまっていました。
仮設住宅ではお年寄りの方が多く、なかなか外に出て来てくれる事が無いそうです。しかし、今回の催し物では何時も以上にお年寄りの方々も外に出て一緒にフラダンスを楽しんだり、鹿児島からは美味しいさつまいもの『やきいも』や美味しいお米の『塩おむすび』なども配られ、みなさんと一緒に頂きました。
真心のこもった食べ物の味は格別で、本当に美味しかったです。
何時も以上にお年寄りの方が沢山出て来ていらっしゃる風景を見て、NPOの方々は『本当に良かった・・。外に出てくれると元気になってもらえるし』
と少し安堵の表情になっていました。
私たちが見学させて頂いた仮設住宅は木造の作りで窓も二重になっており、普通に建てられているプレハブの様な仮設住宅に比べると寒さにも耐えられるようにしっかりとした作りとなっています。
しかしそれを逆に考えると何時、自分たちが住んでいた街に帰られるのかどうか未定であると言う事です。
その厳しい現実は2日目に出雲bijinだけでまわったバスツアーで知る事となります。
相馬市に住む乳幼児たちを放射能の不安から守るために立ち上げられたNPO
『ブリッジ for 福島』の相馬基地代表の伴場さんの案内で、津波の被害が大きかった松川浦とその漁港へ行きました。
瓦礫はほとんど撤去されていて更地状態でしたけれど、この場所で400人以上の方々がお亡くなりになった事は本当に胸が痛みました。
その津波状況の体験をお話してくださった高橋さんは水産加工業の工場も自宅も全て流されてしまった方です。
『津波が来て、初めて自分の家と海の距離がこんなに近かったんだ』と気付かれたそうです。
震災前までは日本一の底引き網数と高級魚の漁獲が有名だった海も震災の影響で海は原発事故で汚染されてしまい、産業の上で大きな打撃を受けてしまいました。
そんな壊滅的被害を受けた漁港の住民たちは、必死に立ち上がろうと、魚が取れ無いのならせめて『加工業』で生計を建てようと、魚は安全な区域から取り寄せ、味噌漬けや松前漬けなど試行錯誤しながら産業の復帰を頑張っていらっしゃいます。
そして作った『加工品』はリアカーに乗せてお買い物に行けない仮設住宅に住むお年寄りの為に『¥10』で売り歩いていたそうです。
当然、お金をもらおうとしている訳ではありません。しかし『被災者』という立場で『してもらっている』と言う気持ちに陥ってもらわない為に『¥10』でもお金を頂くように心がけていたそうです。
今では『相馬はらがま朝市クラブ』と言う団体も発足され、地場産業の『水産加工物』の販売や、朝市、そして食事が出来る『報徳庵』などの施設が漁港の方々の情報発進の場となっています。
津波の被害だけでも大変なのにそれに輪をかけて『放射能問題』と共存していかなればならない相馬市の人たち。
明るく色んな体験を話してくださった高橋さんでしたけれど、『やっと最近、海が見られるようになりました。それまでは胸がドキドキしてとても見られる状態ではなかった・・。』とふと言葉をもらされている姿は、どんなに元気にふるまっていてもギリギリの状態で頑張っていらっしゃる事を感じます。
私は福島県に行くのなら相馬市で『水産加工物』を買って帰ろうと決めていました。その影には『風評被害』を払拭させたい意味もあったからです。
私個人の意見ですが、今回の原発事故で一番懸念していたのが『風評被害』でした。
『福島産』と言う言葉だけでイコール『放射能汚染』と結びつけられてしまう『風評被害』。
確かに放射能は目に見えない恐怖です。
警戒区域10キロ圏内まで行きましたけれど、『ここから先が警戒区域』と言われても風景が変わる事もなく、臭いも何も変化がありません。
あの原発の事故が襲ってから小さなお子さんがいらっしゃる家族の多くは移住されたり、移住出来ないお年寄りや、復興に頑張っている大人たちは目に見えない放射能の恐怖と共に生活をされています。
『ブリッジ オブ 福島』の方々は子供たちが安全に遊べるよう、室内の遊び場『インドアパーク』を作ったり、水道水の変わりにミネラルウォーターを配布したりしてお母さんたちを一生懸命支援されています。
実際に相馬市へ伺って、食に携わるお仕事をされている方々は『食の安全性』に対して特に気を使われていました。
そんな『食の安全性』を徹底して作られている水産加工品は、問題がある所か安心して口に入れる事が出来ます。
日本神話の中に食の起源となる『保食神(うけもちのかみ)』のお話があります。
ある日、太陽神・アマテラスは、弟神であるツクヨミに、下界国土の『葦原中国(あしはらのなかつくり)』に保食神(うけもちのかみ)に会いに行きなさいと命じます。
ツクヨミの訪問を歓迎した保食神は、米・魚・肉を口から吐き出し、手厚くもてなしました。
しかし、口から吐き出した物を食べさせられたツクヨミは『汚らわしい』と怒りをあらわにし、保食人を殺害してしまいます。
その事を知ったアマテラスはツクヨミに対して激怒してしまい、分裂し、昼と夜が生まれたと言うお話です。
この後、保食神の屍からは動物から植物まで様々な種が生まれ、私たちの食の起源となっています。
万能と思われる神の世界ですら『食の印象』と言うものがこれだけ大きな影響を及ぼす事を神話は物語っています。
『食』=『生きる糧』に対して私たちは敏感に反応をしてしまいます。
福島県の方々は『食の安全性』に関して、他府県以上に敏感になっています。
そんな状況下で復興の為に頑張って生産されている物を『印象』だけで、ジャッジしてしまう事は大変危険ですよね。
これから私たちは交差する情報を客観的にキャッチして考えていく事も今後の課題なのかもしれません。
私1人の力など微量に過ぎなくても、現状を見せて頂いている以上、出来る限り福島の方々のお力添えになればと思っています。
移動中のバスの中で津波の体験と街の状況を語って頂いた高橋さん。
『松前漬け』『イカ塩辛』などの水産加工物で町おこしを担っている。
出雲bijinの有志たちとお昼を頂いた復興市場の中にあるお食事処『報徳庵』
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